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オーフス日本語補習学校
DJVF
友好協会について


会長 Aya Tominaga Olesen
副会長 Miki Kikuchi
会計 Masami Terao
書記 Akiko Oshikawa
広報 Mayuko Topa
監査 Takashi Ito
補欠 Mayumi Thiele
補欠 Eri Ishikawa Storgaard
連絡先 | 会則
デンマーク・日本友好協会は、日本人とデンマ-ク人との友好と理解を深め、日本に関する知識を広めることを目的として1980年に設立されました。
上記の目的に賛同する人は誰でも入会できます。月1回程度集まりを持ち、講演会、ビデオ鑑賞、夏祭りなど色々な活動を行っています。
協会の ベースはオーフスにありますが、上記の目的に賛同する人は誰でも入会できます。月1回講演会、音楽会、ビデオ鑑賞、バーベキューなど色々な活動を行い、リ ラックスした雰囲気の中で会員同士の交流を深めています。
デンマーク・日本友好協会の歴史
2014年2月
林 眞理子

1:協会の発足
友好協会が発足したのは1980年のことです。当時オーフス大学で日本学を勉強していた学生、教えていた先生、そして日本から来た留学生などが中心になって立ち上げ、それに日本に関心を持っていたいろいろな人が参加しました。

「日本学」という分野は聞き慣れない方も多いかと思いますが、日本について、語学だけでなく歴史・社会・文化・政治・経済などいろいろなことを勉強する分野です。当時はもちろんインターネットなどなく、オーフス在住の日本人も数が限られていました。デンマーク人が日本人と知り合いになることも、日本に関する情報を入手することも難しかった時代です。協会の目的は、デンマーク人と日本人とが触れ合う機会を作り、日本に関する情報を共有することでした。

情報共有方法としてまず使われたのが会報です。「触れ合い」という名称で(90年に「こんにちは」に改名)、年数回発行されていました。(「触れ合い」と「こんにちは」にはISSN番号も付いていて、図書館で閲覧することができます。)単に協会の活動のお知らせだけでなく、日本に関するいろいろな記事や論文が掲載されています。毎回20ページを越え、なかなか読み応えがある内容です。茶の湯・日本とデンマークの交流史・日本の凧・日本思想史・日本女性の地位・日本の宗教と親鸞についてなどの論文・専門図書の書評・折紙の折り方・和食のレシピ・日本展や日本映画上映の案内・インタビューなど様々な記事や論文が見られます。また、興味深いことに、クリスマスやイースター、北欧神話、デンマーク語コースの案内など、日本人を対象にした記事もいくつか見られます。日本人もデンマークのことを学べば、さらに友好が深まるということでしょうか。「触れ合い」への投稿者は学生が多いですが、専門家による記事・論文も少なくありません。

会報発行の他に、講演会・生け花や墨絵の実演・折紙の会・食事(日本食)の会など、会員が集まって日本文化に触れ、友好を深める催しも再度行われています。若い人たちを中心にした活気あふれる活動の様子が伺われます。

2:協会の危機と再生
発足以来活発だった協会の活動も、80年代終わりから90年代始めに
なると下火になります。90年に会報の名称が「触れ合い」から「こんにちは」に変わりました。92年にはレイアウトも変わり、編集委員会は更なる充実を計りたいと抱負を述べると共に、会員に積極的な投稿を要請しています。会のロゴも作成されました。しかし、投稿原稿は増えなかったようで、編集委員自身によって書かれた記事が少なくありませんし、専門的な論文もほとんど見られません。パーティー・キャンセルのお知らせや、会員に積極的な参加を呼びかける小さな記事が見られたりもします。そして、「こんにちは」は1994年に廃刊になりました。それ以降は、主に協会の活動をお知らせする「会報」が定期的に発行されています。

協会の活動状況は、当時の学生が置かれていた状況を反映しているように思われます。学生にとって、80年代には日本留学は夢の夢でした。協会の活動は、デンマーク国内で(オーフスで)日本に触れることができる場として学生にアピールしたのでしょう。しかし、90年代に入ると、日本へ行くことが夢ではなくなりました。日本の大学で行われる短期サマー・スクールなどにも参加出来るようになりました。(現在は日本留学はカリキュラムに組み込まれていて、ほぼ全員が1学期間留学します。)学生の目が徐々に協会の外に向けられるようになったと言えるのではないでしょうか。

そんな中、協会は会員数が減少し、存在そのものが危ぶまれるようになりました。閉会という方向で動き始めたとき、少数の会員(主に日本人会員)から、やめるのは簡単だが、また始めるのは大変だ。なんとか続けて行こうという声が出て、茶話会というリラックスした形で集りを続けました。しかし、出席者が2~3人ということも珍しくありませんでした。

このように、80年代終わりから90年代中頃は低迷状態が続きましたが、90年代後半にはまた会員が少しずつ増え、毎月一度定期的に集まるという現在の形に落ち着きました。Vejlby Sognegaard( イルビュ教区)の集会所を使わせていただくようになったのも、このころからです。また、協会のホームページができ、会員以外の方も会の情報にアクセスできるようになりました。

会報を見ると、90年後半から現在までいろいろな集まりがあったことが分かります。まず挙げられるのは専門家による日本についての講演でしょうか。日本建築・日本美術・日本の考古学・マンガとアニメなど、色々興味深いお話を聞かせていただきました。日本人だからといって、日本のすべてのことを知っているわけではありません。デンマーク人の専門家から教えられたことも、たびたびありました。笙(しょう)
や大正琴など、日本でもなかなか聞けない楽器の小演奏会もありました。会員有志が集まって、プロの声楽家の指導のもと日本の歌の合唱練習に励み、協会の集まりで発表があったのも懐かしい思い出です。

また、数年続けて6月に近郊へ「遠足」に出かけていた時期がありました。何故かほとんど毎回雨に見舞われ、遂に「遠足」を断念。当時の会長さん宅のお庭を借りてのバーベキューが、夏休み前の恒例行事になりました。(2013年からは場所を変更して継続。)最近は、小さい子供のいる家族会員が増えたこともあり、親睦活動が多くなりました。近年始まった8月の夏祭りは、金魚すくい・ヨーヨー釣り・スイカ割り・焼きソバ・たこ焼きなどと年々充実し、たくさんの人が参加する楽しい集まりになっています。

3:結び
協会発足以来34年。当然のことながら、会員構成も活動内容も変化してきました。協会の会則に定められた目標は三つあります。
ー日本人とデンマーク人との友好と理解を深める。
ー日本に関する知識を広める。
ー会員同士が出会える場を提供する。

日本に関する知識に関しては、インターネットはじめいろいろなルートで、比較的簡単に入手出来る時代になりました。しかし、生きている人間同士が触れ合うことなしに、友好や真の理解はありません。日本人とデンマーク人が出会い、日本に関する情報を共有し友好を深める。そのための場を友好協会が提供する。協会独自の存在意義も、そこに見出すことが出来るのではないでしょうか。

あとがき
私がオーフスに来たのは1970年代始めで、オーフス大学日本学の学生さんや先生と知り合ったのもその頃です。1980年に友好協会が誕生しました。会の誕生には加わっていませんが、その後一般会員として、また会報編集スタッフや役員として、いろいろな活動に参加してきました。今回協会の歴史を記すにあたり、手元に残っている「触れ合い」・「こんにちは」および「会報」を繙いてみました。こんなこともあった、あんなこともあったと次々懐かしい出来事が蘇ってきます。本文に記したことは協会活動のごく一部ですが、会の全体の動きを大まかに把握していただけたら幸いです。